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2010年。突然ホームページが「工事中」の表示となったので気になっていたこともあり、かねて2度にわたりお世話になったロボット企画会社の情報を探してみた。大株主の一部上場企業が不正利益計上、不正融資等で上場廃止となり、内部調査委員会の報告書が提出され、当時の関係役員は社長を含め更迭されている。今度は不正融資先、つまりは私がお世話になったロボット企画会社との間の民事訴訟の気配であるが、その会社は既に倒産しているのではないだろうか。
私は50歳をもって転職生活に入り、5社を経験したが、撤退や倒産で残っているのは2社のみ、そのうち1社も3期連続営業赤字だった。自分の人生って何だったのだろうと思う。慰めは何とか不自由のない給料を家族に運べたことくらいか、、、

2010年7月。私はめでたく還暦を迎えた。何とも清々しく理由もなく嬉しい。還暦だろうがなんだろうが、経過する時間の中身は何も変わりはない。ただ、自分が今までは第一の人生、これからが第2の人生と認識を変えるだけだ。でもそうしないと人生はだらだらと終末に向かうだけだ。「自分から変える」という意気込みだけでもしっかりと持ちたいものである。「感謝される人生」としたい。



2003年秋、3年来、ラブコールを送り続けていた同期入社の友人と奈良散策の旅を実現した。萩で有名な新薬師寺、哲学的な目で遠くを見通している四天王に心を射抜かれる東大寺戒壇院、コスモス真っ盛りの般若寺等々、天気にも恵まれこれ以上望めそうもないタイミングであった。
彼とは大学時代からの知り合い、もうかれこれ34年もつきあっていることになる。妻より長い。これまでも、ふたりきりでという場面はあったが、彼は仕事の疲れか、本題に入る前にいつも寝てしまっていた。今回は、私はその会社を去り、彼はちょっと東京本社を離れたということで、特に必要な話があるわけでもなし、、、私は、死ぬまでに一度、彼と昔懐かしい奈良路を歩いてみたいと思っただけである。
でも、なんとなく課題を消化したような気分である。人生の時間が読めれば、またいつでも一緒に歩けるぞと思えるのだが、、、


久々に運勢に興味をもたせる本が出ました。SONYから株式会社CEAFOM常務に転じた松本哲郎氏の「なぜあの人と相性が悪いのか」です。これは中国で4000年にわたり用いられてきた九星気学に血液型を関連付けた日本人好みの相性学、バイオリズム占いです。 例えば私は五黄土星、波乱に富んだ帝王の星であり、バイオリズムは2009年が最低、さらに血液型はO型なので指導力抜群の野心家となります。仲間の典型としては豊臣秀吉がいます。妻は八白土星、A型で私との相性は絶好調とのことです。 結婚前にスペックを書き、相手は7歳下の血液型はA型と決めましたが、これは正しかったようです(実際は6歳下ですが、結果は同じでよかった、よかった)。


昭和55年12月20日初版発行のこの本。当時はベストセラーだったのではないでしょうか。能見正比古著、「新・血液型人間学」(角川文庫)
この中で、何年たっても不思議と忘れられないのは、血液型別の愛情特性のところにあります。
私がA型の女性と結婚することにこだわった理由のひとつがこの本の分析でもあります。結果が良かったかはわかりません。

さて、
O型の愛情特性
*愛の表現の基本
心と心を一つにするようなスキンシップな愛。烈しく相手に求め、独占的な傾向が強い。表現はロマンチックだが、愛の裏側で、現実的な計算も作動をやめない。
*失恋の後
怒るが、切り替えは早いほうで、居直ったりもする。
*夫として
実質的なボスでありたがり、それが満足されれば、寛容、家族思いは最高。が、家庭経済は自分の手に握りたがる傾向。
*妻として
生活運営はしっかりする現実派。緻密ではないが、茶の間の中心。ただ、中年以後は外での活動を望み始める方。

A型の愛情特性
*愛の表現の基本
露骨な表現を避け、それとない接触や、たわいない会話の間に、互いにいたわりあい、信じ合い、理解し合う喜びを交換してゆく。ムード派である。
*失恋の後
ショックは大きいが、プライドで断念しようとする。傷は長く残る。
*夫として
家庭でも秩序を重んじ、形式的な亭主関白を望む。妻にも妻らしさを求める。一面、家庭では開放感を味わいたがる。外面よく内面悪い傾向も。家庭維持の責任感は大きい。
*妻として
几帳面でやさしく、外部からは良妻風、うちでは夫と五分の立場を主張、子供の誕生後は夫に手抜きの傾向、家庭管理には行き届く方。夫の浮気に最も厳しい。

B型の愛情特性
*愛の表現の基本
語り合い、共鳴し合い、行動を共にしながら、異性のムードを感じあいつつ、相互の人間価値を認め合う喜びを高めようとする。友情から発展して行くタイプである。 セックス的にその相手を欲しがる場合以外は、一目惚れは少ない。
*失恋の後
暫くは大騒ぎだが、消えれば、跡形もなく消える。
*夫として
家庭は楽しくあればよし、平均して脱家庭的で、家庭の相談事に乗ってもらうのに苦労する方。ただ、話し合えば妻の立場への理解も尊重も最大。妻の家庭外の活動にも、最も寛容。
*妻として
気さくな奥様。家事名人級と、全く家事離れと、極端に別れる。しつけの利く方で、愛情表現豊かな妻にも、サバサバタイプにもなる。

AB型の愛情特性
*愛の表現の基本
気の置けない相手から出発し、裏切られる心配のない信頼感が愛に高まる。あるいは尽くす喜びが、静かに、愛に移り変わっていくこともある。
*失恋の後
感傷的に嘆き悲しむが、冷静に回復するのは早い。時には「復讐の AB」になる。
*夫として
家庭では個人主義的に見え、個人的趣味を通したがるが、淡泊で、家庭管理にも熱心、家事にも協力的な夫が多い。妻や家族には管理欲が強く、妻の活動には理解があっても、 無断の行動は、ひどく嫌がる。
*妻として
童女的な心を残し、子供ができても夫への態度は変わらない。活動的な妻もあるが、以外と三食昼寝付を楽しむ方。夫の仕事には干渉せず、動揺も少ない。


女性
女って不思議だ。私の推測では、家庭にいる女性が母親だけという、男兄弟だけの家庭で育った子は、きっと女性に関する情報に偏りがあると思う。結婚して初めて知ることが多すぎるし、もう、そのときは時既に遅しである。私は幸い妹がいたので、女性がどのように成長して「女」になっていくのか、なんとなくわかる部分もあったが、何分、年齢差3歳だから、当時理解できなかったこともあった。 だが、今、2人の娘を持ち、生まれてからの成長をずっと見続けていると、なるほど「女」ってこうして出来上がってくるのかということがわかって面白い。彼女らは「女である」という武器をいつ、どのように使ったら最も効果があるかを、ごくごく小さい頃から試し使いをしながら身に付けていくようであり、それに太刀打ちできる方法など、俄には身につかぬものである。



最近でこそ、「お父さんのパンツを箸でつまむ娘」の話題は出なくなったが、世の父親は、娘とのつきあい方に苦労しているのではないだろうか。 でも、私はいつもこう考えている。娘たちは、父親が清潔感にあふれ、いつも仕事に果敢に挑戦している(ような)姿を見せていれば、(たとえ今は娘が反抗期のまっただ中であっても)必ず父親のファンになってくれると。



2008年7月5日。3月12日突然、社長から従業員各位と書かれた「お知らせ」なる文書をもらった。中には「弊社は、再建に向け尽力してまいりましたが、資金繰りの目処が立たず業務の継続は困難であると判断致しました。・・・・・本日付で解雇とさせていただきます。解雇予告手当は、早急にお支払いすることが困難で・・・・・までの給与につきましては、現状支払い資金がございませんので、お支払いすることができません。・・・・深くお礼申し上げます。草々」と書かれていました。
入社して間もなく、この会社は危ないと思いつつ、成功を願って自分なりの努力をしてきたつもりですが、力及ばずでした。多くの社員が納得のいかない感慨を抱きつつ、会社を去りました。まるで蝋燭が燃え尽きるときのように、徐々に徐々に炎が細くなり、最後はふっと消えました。15名の部下と300を超える顧客を何とか事業譲渡により避難させることができたことがせめてもの慰めとなりました。今回は「最後まで逃げない」ということが私のテーマでしたから、、
事業譲受先から収支状況が苦しい、受け入れると共倒れになると再三言われ、自ら他の職を探すこととしました。しかし、57歳という年齢では求職活動は困難です。以前勤めていたベンチャー企業の社長に相談したところ、「戻っておいで」と言われお世話になることにしました。以前、私の都合で逃げるようにその会社を辞めたとき、「いつでも戻って来い」と言われたのですが、それを実行してくれたのです。その会社の経営状況も決して楽ではないにもかかわらずに、です。「人間はいかに生きるべきか」というテーマをもらいました。


2006年9月23日。一点の曇りもないお彼岸の中日です。 この6月に、経営後継者候補に請われて就職した会社から解雇された。職務経歴書に記載された能力に虚偽表示があり、有りもしない能力・経験を詐称した、期待した実績もまったくないというもので、私を斡旋した人材紹介業者を同席させた上で、73歳のワンマン社長から解雇予告がなされた。これまでの自分の実績、ひいては自分の人生をまったく否定されたようで、暗澹たる気持ちになった。56歳になって、また、失業生活の始まりである。このような経験から私が学んだこと。
(1)業績が安定した大企業に勤務する人の多くは、そのメカニズムの中でしか生きていけない。
(2)製造業は日本の産業を支えているが、並大抵でない努力をしている。
(3)理不尽なワンマン社長の元では社員は自主性を失い、指示待ち状態になり、社長はさらに自信を深めワンマンになるという悪循環を繰り返す。後継者は通常育たない。
(4)明白な目的、目標がない限り、現状に多少不満があっても絶対現在の会社を辞めるべきではない。我慢ができるというのも才能
(5)厳しさだけを唱え、ビジョンを示せず、社員に働く喜びを感じさせられない経営者は、それだけで才覚がないと言える。

2004年秋、今の会社に就職して早1年が過ぎた。兎に角楽しくも忙しい 毎日であり、私の目標どおり「サラリーマン人生の集大成として、今まで 身に付けてきたものすべてを最大限発揮して、全人格的に会社に、ひいては 社会に貢献する。」ことは実現できつつある。 だが、一方、自分自身が一度しかない人生の中で、豊かな人生を歩んでいるか どうかについては大いに疑問の残るこの頃ではある。 とは言え、そもそも「豊かな人生」とは何かが問題である。まず心の底で金銭的 豊かさを求めている自分に嫌気が差す。次に時間的なゆとり、睡眠時間を十分とり たいとかいう欲求にとらわれている。 「寝食を忘れて」好きなことに打ち込む、そしてそのことが社会の豊かさを増すこと に通じていて、その反射として自分が豊かさを感じる、というような、、、      できない自分のずるさにまた嫌気が差して、、、

2003年7月1日
失業10ヶ月目に入る寸前で就職が決まった。これまでこんなに血眼になって職を探しまくったのに、決まるときはすんなり。ヘッドハンターが言うように、就職も結婚と同じ、縁があればトントン拍子だ。だが、長かっただけに、まだ、信じられない気持ちで一杯である。 この間、約100の職業紹介会社に登録し、約40のサーチ型ヘッドハンターに依頼し、4のハローワークに登録した。そして、書類審査までこぎつけたもの約30,Webにて応募したもの5件、新聞の求人広告で応募したもの5件、こちらから断ったもの7件であった。 ある通信系のベンチャー企業からは内内定を文書の形でいただいたが、そのうちファンディングが順調にいかなかったと言うことで営業停止となってしまった。また、ある県の産業振興財団からはインキュベータマネージャーの面接の打診を受けたが、単身赴任のコストを考えるととても家庭を維持できない給与なので泣く泣くお断りしてしまった。出色の打診は、輸入墓石の販売企画というのもあり、大いに寂しい思いをした。 求人側から断られる理由では「50歳を超えている年齢」が最も多く、次に営業経験が乏しい、第3はオーバースペックというものであった。やはり大企業の終身雇用制に甘え、自分が転職するハメになるなんてことは微塵も考えなかったことに原因があるということを嫌が応にも思い知らされた、この10ヶ月であった。


2002年7月19日、金曜日。
その男の名前はTom Giles。
コロラドの田舎から出てきた実直者という感じだったが、アメリカ人特有のフレンドリーな感じは微塵もなかった。昨夜香港から日本に到着して、今日の午後にはもう米国に発つという。 5人しかいないオフィスの会議室で、ひとりひとり順番に話をすることとなっていた。実はこの男、既に香港のオフィスで3か月分の退職金で数人を切ってきたばかりの人事担当者である。 さあ、私の順番だ。いきなり Mr. Kobayashi, we are sorry that we can not prepare any position for you anymore. みたいなことを言った。もう、来ることは最近の職場の雰囲気や伝わってくる情報でわかっていたのだが、なんとも寒々しい乾いたものが伝わってきた。これが、米国企業だ。進出してくるときもほいほいと大した計画もなくやってきて、ダメになればまたさっさと引き上げる。そこに働いている者たちへの感情的配慮などまったくない。
私も準備をしていたとおり、「でも、日本では解雇の4原則ていうのがあって、このままでは訴訟に持ち込まれるとお前たちは敗訴するよ。」と主張、彼も持ち帰って解雇条件を検討するということになった。あーあ、これで、少し首になる時期が先延ばしになったと、暑い夏を思った。


2000年8月31日
50歳を迎えて、26年以上勤務した会社を辞めた。初めての転職である。 会社を辞めるについては5年余りの伏線はあったのだが、直接の理由は、ある会社に合併されたことであった。この会社は、「売らんかな」の精神に満ちあふれる営業主体の新興会社であった。かたや、こちらは独占事業に馴染み、太平楽を謳歌していた超エリート・お公家さん集団。生きることへの貪欲さがまったく違った。 私は常日頃、若き部下たちに、「転職をするのならば、まず、米系企業でもまれれば、あとはどこでもやっていける。」などと説教をたれていたものだから、率先垂範、ここはひとつ米国企業に就職しようと意気込んだのが、その後の運命の分かれ道となったとは、当時は夢想だにしなかった。


2005年4月28日。香川大学岩月謙司教授の「娘は父親のどこを見ているか」(講談社+α新書)を読みました。 *娘は、妻を愛せないような人が娘である自分を愛せるはずがないことをよく知っているのです。だから、お父さんがいかにお母さん(妻)を愛しているのか、どんな愛し方をしているのか、娘はしっかりと見るのです。 *女性は強い男が好きです。・・・強い男とは、誠実に仕事をする男です。人より仕事ができる必要はありません。相手のことを考えて、誠実な対応ができる男性のことです。 どうして男性である岩月教授がこうも女性の行動心理を断定的に語れるのかちょっと理解できないところもありますが、そこは研究者の成果を信じたいと思います。実際面では、娘がどのくらい父親とのデートにつきあってくれるかで、ある程度推測はできるかも。

2004年9月25日。子供の成長について思う。好きでもないのに仕事に精出し過ぎて 育児に十分参画しなかったことが、子供に男性側からの価値観をうまく移植、醸成できな かったのではないかと。特に、生まれてから10歳くらいまでの間にもっと接触すべき ではなかったかと、、、

2004年9月25日。最近久しぶりに伝統的な結婚式にご招待を受けた。 ご媒酌人、文金高島田、羽織袴、ケーキカット、キャンドルサービス等々。 そして思い出した。かねて結婚式でスピーチによく引用したこと。 結婚し、子供ができると、男性には「男、夫、父」の役割が、女性には 「女、妻、母」の役割ができる。そして、その役割が、いつしか「父」と 「母」だけになってしまう。だから、子供がいない場面でも、「お父さん」とか 「ママ」とか呼び合う夫婦がいる。夫婦二人きりになると、どうしてよいか わからなくなる、、、恋愛時代は違ったのに。それは、「男」であろうとすること、 「女」であろうとすることを放棄してしまうからだ。どちらが先にそうなるかなんて 関係ない。

小さい頃 私の家族は父、母、妹の4人家族だった。父は第2次大戦中は中国、仏領印度と転戦し、復員後は電電公社に中途採用され、管理者の椅子(肘掛け椅子)に座ることを目標に頑張っていた。だが、高校卒扱いの父は、大学卒で最初から将来の約束されているエリートたちに対するコンプレックスと対抗意識がとても強かったように思う。私の母とは、当時珍しい恋愛結婚をしていたが、私が物心ついたときには、大変不仲で家庭内暴力が絶えなかった。さらに悪いことに、父は家に給料をまったく入れなかったことも数回ある。 夜中に目が覚めてみると、口論する父母の間の畳にナイフや千枚通しが刺されていたり、私の学校の父母面談に顔が腫れた母がマスクをして来たことなど、思い出すたびに恐怖と寂しさがこみ上げてくる。 こんなだから、夫婦の間では、別れ話がよく出た。どんな家庭の子供も、子供というものは「お父さんとお母さんは仲良ししていてほしい。」と願っているもので、これに例外はないと思う。そうしたとき、母から「もし、お父さんとお母さんが別れたら、あんたはどっちについていくの?」と聞かれるほど辛いことはなかった。私はまだ、小学生だ、、、、一生懸命、子は鎹になろうとした。父母に注目される良い子であるように自分を作っていった。いずれ、自分がこの重圧に押しつぶされることも知らずに。  今、離婚を考えるほど不仲となっているあなたたち。自分たちの辛さよりも、父母に従うほかない子供の気持ちをようく考えてあげてほしい。
旅行や趣味やお楽しみ

2006年2月4日。故あって、あるいは、故もなくアルコールの消費量を極力減らすこととしました。今日は、丁度7日目、なんか期待と不安と躊躇を感じながら、ビールを口に運びましたが、今まで毎日死ぬほど美味しかったものが、変な味に感じられました。でも、妻が予告した通り、(スーパー銭湯のせいもあり)酔いは急速に襲ってきました。これが、なかなか気持ちのよいものなのですね。音楽はサラボーンが歌うガーシュウィンです。また1週間はお酒とは縁のない生活をするのですが、飲む理由は次から次にと浮かんできまます。明日は休みだから、こんなに買ってしまったビールはもっと頻繁に飲まないと減らないから、1缶飲み切れずに残ったビールなら飲んでもいいだろう、この1週間頑張った自分に対するご褒美だから、こんな田舎にいて楽しみがほとんどないんだから週末くらい飲ませて、恐らく仲間たちは週末の楽しみで飲んでいるんだろうから俺だって、、、本当に飲む理由はたくさんあるのです。でも人には「酒はお金と時間と労力の無駄遣いだ。」と言うことにしています。



聖マルクス墓地 St. Marxer Friedhof

ウィーンの中心地から、ベルヴェデーレ宮、軍事歴史博物館と辿っていくとモーツァルトが埋葬された聖マルクス墓地に 辿り着く。と言っても順調に辿り着くのは旅行者にとっては至難の業かもしれない。モーツアルトがどこに埋葬されたのか 今となっては探る術もなくなってしまったが、そこに佇む「嘆きの天使」像の前には花束が絶えることがない。




レクイエムニ短調K.626−死者のためのミサ曲

モーツアルトが「レクイエム」及びその中の残存するものを作曲した全期間は、1791年10月8日から、リューマチ熱のため床についてしまった11月20日までの1ヶ月と少しであったと推定される。そして、このレクイエムのうち、「入祭誦」だけがモーツアルトによって全体を作曲され、「涙の日」の8小節のスケッチで途絶えている。そして、モーツァルトは、1791年12月5日月曜日0時55分、35歳の生涯を終えたのである。未完の「自分のためのレクイエム」を残して、、、

私の好きな演奏:1.カール・ベーム、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団1971
        2.レナード・バーンスタイン、バイエルン放送交響楽団1989
        3.若杉弘、読売交響楽団1965
        4.カール・リヒター、ミュンヘン・バッハ管弦楽団1961


ホテル・アマデウス Hotel Amadeus

Wildpretmarkt 5, Wien, Austria 電話:010-43-1-5338738
石畳の道が残る旧市街の静かな一郭にあり、聖シュテファン大聖堂へは歩いて3分。かつてモーツァルトもこの界隈に暮らしていた。こぢんまりとしたホテルだけに、なごやかで親身のサービスが受けられる。



2004年7月30日、新装なった江ノ島水族館に行ってきました。ローカル色と 親しみやすさを残しつつ、清潔で楽しめる施設になりました。40年以上前に 修学旅行で訪れ、のこぎり鮫や、ウミガメ、ホウボウに感激したことを思い出しました。 水族館は好きで機会があれば訪れることにしていますが、サンフランシスコ、シドニー、 大阪南港のものが思い出に残っています。


音声菩薩(水墨)


音声菩薩


マリアさま


時間 音 生と死


習作


習作


習作


習作


マリコ


習作


習作


孔先生


そもそも


ほとけさま


ほとけさま


ほとけさま


広目天


タバコ吸う?


チェリストの卵の好い人


習作


イメージ戸隠


江ノ島から


哀しい


鞘当て


カラー 2004


ほとけさま


誰?


幸崎さんに


幸崎さんに


母のお友達に


下絵


水墨